安倍さんの国葬が、行われてしまった。
1ポイントでいい。個々を基盤にした民主主義社会に国葬なんてあり得ない、ということだけでいい。
首相の着想事態が、今日に生きる人間資質がないこと+政治権力資質のなかったことをを露呈してしまった。この点を多角批判してもことを複雑にしてしまうので、今回は視界を反対方向に向けよう。野党の単調さダ。同じ穴のムジナからは聞く耳を有する首相が、安倍さん没後1週間で拙速にありえない「国葬」判断をしてみたが「国民の反対がこんなに多数なのか、しまった」と気づいたとき「国葬儀」が口から出た瞬間だ。野党は、「安倍・国葬」はどうぞ自民党でやってください。「安倍国・葬儀」は国民と一体となってやります。と、葬儀の主役に躍り出るセンスが必要だったといいたい。
武道館の国葬に並行してもしなくてもいい。反対デモだけでは狭すぎる。というより賛成・反対、二項対立では国民統合のチャンスを失う。安倍国・葬儀を、武道館?そんなに広くなくてよいところで実行する。長期に渡って、多面に戦後日本が築いてきた非戦・民主社会を、他国の宗教思想に符合する安倍さんが壊しまくってきた国政ポイントを全項目に整理して、一つひとつ関係識者が論を立て国民の理解を深めて埋葬していくのだ。ポイントがあまりにも多く葬儀時間は朝から晩まで必要だ。政治家の評価・批判の葬儀は、彼死後の国の発展の基礎になるからである。「自民党さん、あなた方はイイところを見せるのでしょ」と勝手にやるのは認めてあげて「私たちは国民と一緒になって安倍さんの悪事をワルイところを確認し葬りたいと思います」。
これだったら、国民に分かり易く安倍さんを総括できる、マスコミも、取り上げるし、ユーチューブに至っては、アベ国・葬儀からの学習アクセスが後を絶たないだろう。そして、後を絶った折には、日本政治権力の座から、アベ自民党政治が退去している新時代を迎えていることになるだろう。
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