“インフィルからライフィル”にボクの中で革命が起こった!!建築人生で狙ってきた方向を替えずにまっすぐ突き当りにまで進むと、時空の段階で行きつく終点がある。最高の共同住宅のそれなのだろう。
コーポラティブ住宅“つなね”は23年前完成時にも建築界の極部には大評価反応があった。20年以上経っても、人々の生活が変化しながら継続し、建築物体としての輝きは増すばかりだ。恵まれた居住建築主体者と対話を重ね“建築目的”を他に類を見ない高度に昇華させているのだから、ボクにとっては、当たり前の成果である。99%のそれでも、1%の反省課題を見出さなくては、建築の成長が止まってしまう。1%は、「区分所有共同住宅」という根幹の存在条件だ。“つなね”を超える「一人(私か公)所有共同住宅」に挑戦したい。21世紀に入って、ずっとこの思いは持続していたのだ。スケルトン・インフィル住宅としての高い評価で、日本の建築風土ではありえなかったが、22年の洋書「Dijesting Metabolism Artificalland in Japan」(Casey Mack)によってボクの建築哲学は支えられた。が、ここきて“インフィルからライフィル”が初めて生れる。個々の一時期の生活観に反応するインフィルからもっと短い時間で変化する生活に対応できるインフィルをライフィルに進歩させるのだ。今多く発生している都市から農仕事に転換したい人々の多様多彩な家族構成もスケルトンが受容する。連絡連携協働少住宅数で可能にする。屋外と屋内に交流学習の場(コモン)と農具庫のある中山間地の自治体がつくると人の逆流が生れ、我が国の政治課題が清流に向かう。人口維持、子育て環境、食料自給、エネルギー、まちおこし、個々と個々たちが自分(たち)力で暮しを組み立てていく。ボクの頭には、その空間がうまれ明日にでも描くことが出来るだろう。が、もう20年も前に構想した「できちゃった建築」は「イメージが悪いから言い方を変えると良い」と多くに提言され、クリスクリフォード氏には「ハプニング・アーキテクチャー」へと進展。そして今回たどり着いた
from Promise to Performance」へと建築行為思考の深化をまとめよう。
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