50年の歴史を持つ建築運動をけん引した鎌田一夫さんが今春他界された。11月11日「鎌田一夫さんの想いをつなぐ会」に出席。もう一か月も前、東京に行った。
氏が亡くなる亡くなる直前まで、酸素ボンベを抱えて守ろうとしてきた神宮外苑の自然+守り続けるべき神宮の競技場付近を、ボクタチは見回り、既にやられてしまっている極限退化公共建築・国立競技場までもしっかり見物して、近くの建築家会館に鎌田さんの想いをつなぐべく集合する。ここまでの半日行動で、ボクが話さなくてはならない事項は、「公共建築がここまで退化し切ったモノはないことを専門家として明言・公言」することで、①つに「地球破壊に連携しない建築観をみんなに浸透するコト」。②つに、「建築デザインに入るまでの野蛮な建築空間の増殖政策を止めさせる」。二つのことだ。都市における資本の増殖エリアの対象はとっくの昔に無くなっている。超高層化が始まった50年前だ。世界の建築史と真面な建築社会学者に問題を指摘されているのに、『上に上に増殖しよう』がずっと続き、今だに高層化し続けている。超高層住宅はは人間らしく住む器として問題が多いのは歴史が証明している。資本は一般人の共有地・山河収奪→成長期は勝手に賄える自己所有に・利便有効地所有活用→食い尽くし残っているのは、彼らも勃興期には人間環境として大切だと思って創り守ってきた公有緑地だ。ここに、地球破壊を誘う「増殖活動」を続ける。地球表面に暮らす多くが、そんな地球破壊に手を貸すように資本主義に包摂され『増殖受け入れ人類へと高額所得者ほど率先して成長』しているのである。「最少の法則の真逆思考から作り出された国立競技場」の、すべて同じ下方から見上げさせる軒裏木材の無制限パレードを、60年前の丹下建築(代々木競技場)の最少の法則が美しい釣り構造を生み出した理解から、ムリクリなシンボリックアーキテクチュアーの下で、解を結ばない課題に悪戦苦闘した建築家の情けない結論を、格別に見下ろさざるを得ないこととなったのである。
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