軍艦島に続き、佐渡金銀山の世界遺産登録問題が、政治家たちの保有している権力思考から浮き上がる①醜い姿を、この上なく②目立たしてくれている。ボクにとっての不幸中①のこの幸い②を持論でしかないかもしれないが、「シンボリックアーキテキュチュア」の系列として理解して当たり前に正しく、誰にもわかる科学として、ここで書きあげておかねばならない。
ボクが整理しているように、建築はつくられる発意から二分できるのだ。権力をシンボルとして時空を超えて発揮したい発意❷と、自分(たち)の生活環境の向上を実現したい狙いの発意➊の二つしか存在しないのである。
ボクは、単純で分かり易い前者をシンボリックアーキテクュチュア❷と呼び、後者をフォークアーキテクチュア➊と呼ぶように整理している。ボクが前後を❷と➊に順番反転させているのは、➊の方が人類史上多数で、多地域に多数の人々に伝承されている事実があるからである。そして社会科学として、ボクたち今を生きる建築専門家にも継承され続けている学ばなければならない大事なアーキテクチュアなのだ。人々の要望に対処し現実を建築デザインするには使いモノにもならない❷を、国連ユネスコが世界遺産に登録する意義を否定するのではなく、国連活動の素晴らしい今日人類の歴史的行為と受け止めている。ユネスコは、ボクと同じ考察を加えていて、登録に当たりそこにあった負の歴史をちゃんと世間に知らしめるよう促しているのだ。
超権力が超支配しなければできなかった、無数の奴隷がかき集められて完成したピラミッドを考えれば、たいへん分かり易い。フォークアーキテクチュアはもう日本の長屋も中国のフートンも、ほぼ破壊完了に差しかかっているが、シンボリックアーキテクチュアは、今日にはつくることができない「今日的不成立」から、その超希少性でもって世界に評価され続けるのである。
つまり、過去に権力が庶民を苦しめた大きさに従って、世界遺産の価値が大きくなるのだ。政治家を笑い飛ばしたい。朝鮮人民を支配したから、日本人民を扱き使ったから軍艦島も佐渡島も世界遺産となるんだよ。それでも「権力は美しい、悪いことはしていない、そうでなかっても、そう思いたくない」。余りの非常識にいつも情けなく思ってきたが、«権力を保有したら、あるいはしようとしたら、そんな志向に陥るのは避けられない非人間性がどうしようもない権力の本質なのだ»。この歳になって、解ったことに、大いなる歓びを感じ取っている昨今である。
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