薬の異常時活用効果(4)

自分度

医学に感謝

そんなボクも五十代後半、二回の大病と二回の大手術、いずれも西洋医学のお世話になっている。一回目は胃がんだった。胃がんを宣告された日の今でも三つは場面がくっきりと思い浮かぶ。その日は二月の初めだった。病院へ胃カメラ検査結果を伺いに行く前に歯磨きをしている場面。末娘が、鏡を覗いているボクの顔を鏡で前面、直に側面を観察しながら「おとうさん、顔色が悪いよ」。ボクはドキッとする。その3週間前のバリューム十一枚撮りレントゲン検査結果日にも同じように彼女に指摘され、結果は胃カメラへと診断される結果があったからだ。不安は的中する。胃カメラの映像を説明しながら、医師は「ガンです。手術をお勧めします。家族の人と今夕来てください」と少しだけ緊張した面持ちで静かに話しをする。ボクの心は仰天している。青年時代から恐れていた「ガン」の発生に襲われて、病院から会社に帰る途上の風景は真っ白だった。

二回目の脳腫瘍が、理恵さんと会える運命を定めることになった悪性脳腫瘍である。症状の深刻度は一回目より大きい。人は死の恐怖から逃れる能力を、徐々に磨いているのだろう。脳の中央に存在するピンポン玉大の腫瘍を映像で見せられたときに、こんどは結構冷静で居られたのだから面白いものだ。いずれも危機一発で極難を逃れる幸運を得ることになる。それは運だけではない、同時に今日の進歩した科学・医学に感謝する。一瞬のうちにボクを眠らせ、脳手術の場合には、呼吸まで止めて、悪性細胞をきれいに取っ払ってしまう。元来「毒」である薬は、持続して使用するものではなく、異常な人間に対して瞬間的に使用して、はじめて正しく働くものである。様々な医療技術が持ち場を得て生きいきとつながり、数時間のうちに大問題を解決してくれる。ボクは、医療技術コンテンツについては身をもって有り難く思い感謝している。と同時に、母と理恵さんに見られる、人の尊厳と商売の重さが逆転した現状を嘆きたいノダ。

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