医学学友の薬原論(3)

自分度

OLA革命の諸元を、コーポラティブ住宅、中でも「つなね」と言ってきたが、もう一つの諸元が加わって初めて、社会に訴えようと思うようになったのだ。ボクが高齢になったところで、(父母の)医療介護の現場に初めて遭遇してからだ。90歳代の両親との介護というよりも、単にボクの生活生活接点が増えてきたことに起因している。ここから学んだ“身体のサスティナブル”を理解してボクの力になったのだ。

降圧剤と抗うつ剤

ボクが学生だった四十~五十年前は、今よりもずっと自由かつ縦横に情報が通い合う時代だったように思う。ボクの近くの田舎で育って同じ大学の医学部に入ってきた友人は、薬の「原識」をボクに説いてくれたことがある。ボクが一人で住み始めた文化住宅の一室だった。初めてそこに訪れてくれた彼は熱っぽく語った。

「薬は全部毒なんだぞ。薬を使わない医療を俺はしたいんだ」。

たぶんそれは医学部の前衛教授が教えてくれた大事なポイント・自分の常識が打ちのめされた故に感激し、友人のボクに語らずにはおられなかったのだろう。その雰囲気と中身はちゃんとこのようにボクに焼きついている。

降圧剤と降うつ剤。この二つは、筋肉を弛緩させる毒だ。高血圧・高うつ時、これらは人間らしい生活環境に反応する現象なのだが、ここに「薬剤」として使われてしまう。 「弛緩させるから効くのだ」からいいではないか。と言っても、ヒトの血官を毒で緩めて血流を調整するのだから、自分力で治癒しようとしない選択になるのがまずい。そして、毒は時折治癒してくれるが、常に薬を求める依存症にヒトは誘引されることになる。ボクの周辺で起きてきた医療介護の現場。そこで見たこと、出会ったことに対して、このように簡単に、ラジカルな結論を出していいのだろうか。ボクが少し迷っていたころに、岡本裕医師著書「一生、薬がいらない体のつくりかた」に偶然出会い3時間で一気に読みつくした時に、ボクの結論に妥当性が生まれたのである。 すぐに、ネットで先生を検索すると、こんな記事も、投稿されている。                    次投稿に続きます。

 

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