22日(土)よく通過している道路から遠望でき、気になっていたが訪れていなかった古建築に足を踏み込んだ。昭和中期まで少人数の小学校だったようで、廃校時から公民館に活用されている(下写真)モノだった。上校舎は明治後期に建設され、戦後に増築されているアイキャッチ画像校舎から、右に見える渡り廊下でつながっている。上校舎にあった素晴らしい部分を写したが、みなさんに見ていただけるよう、下に並べていきます。上は、北側廊下だからこそ陽光に映える里山風景が美しい連続する開口部だ。低い腰壁に背の高い窓が続いていて、廊下だけでなく教室(下写真)の室内環境を向上させる基本条件を兼ね備えている。当時の教室はそのままで公民館のセミナールームに使われている。幅は普通に経験した教室並みで、奥行きが小さく、普通の長さの黒板から二列しか机列がない。地域に今も生き続ける小小学校の“Humanな豊かさ”である。
アプローチの兵庫県名知事の坂井氏の碑が今日の日本社会に明言を投げかけている。この100年の社会経済の高速変化をちゃんと批判的に回顧しないと、未来にボクたち人類は生きることができなくなっている。「100年を回顧し未来に生きよう」。“人新世”の今、政治家にそう言えるヒトが見えなってしまっているのはどうしたことだろうか。
政治経済がグローバリズムに向かうのに、この地域社会では脈々とローカリズムが受け継がれているのに。
小さな地域社会にあっては受給しあう人同士顔が見えあうので、人が余剰生産力を得て生み出す文化は、人々の生活の歓びの中に溶け込み合うことで完結することになる。しかし、それが大きくなりグローバルになるに従って、歓び合う顔は当然見えなくなるわけだから、見返りは方向を変えてしまうことになる。文化の供給者が見返りにお金を求めるようになってくる流れは、そのやりとりに人の表情や心の交歓が失われる広域性に呼応しているのだ。グローバリズム(金)からローカリズム(人)へ舵を切る。この百年の回顧から、ボクたちは未来を生きていこうゼ。
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