19才と91才の共通薬害目撃・自分度の目覚め(1)

自分度

胃がんに続いて悪性脳腫瘍、ボクは二回目の大病をやって、その大手術と放射線治療が終わった直後だ。まだ療養をかねて大阪都心をサムイ姿で散歩していたときに、若い女性と出会ったのは運命的な事件である。ボクが自分力に目覚め、自力度を上昇させようと思うようになった、そのきっかけの決定的な事件だった。彼女の話の内容に私が受けた衝撃は、事件と呼ぶにふさわしいものだった。

その時空は、彼女が19歳のとき患った「うつ病」の顛末物語の最終章だった。職能倫理を失った専門化社会にもてあそばれた悲しい彼女が、立ち直ろうとする瞬間だった。彼女は理恵さんと言い、そのとき、古いビルの前でそれをモチーフに絵を描いていた。26歳の彼女を誘って入った近くのカフェで聞いた理恵さんの話は、偶然の重なりと思ってはならないほどの内容だった。

彼女が十九歳の時「うつ病」が発生する。一人娘へのご両親の心配はいかほどだったろうか。娘のために最高の医療を施したいと考えたのは当然だった。街で一番大きな病院。大阪では誰もが信用する大学病院。うつ病について名高い神戸大学病院へと。病院のランクがエスカレートしても一向に直らない。同じような薬を飲まされることが継続されるだけだった。ついには、関西から関東へ。日本一といわれる日本女子大学病院でもうまくいかない。最後はその最先端。その大学病院の専門研究施設だった。

これ以上はない医療機関まで、ご両親の愛情に支えられ理恵さんは上り詰めたのだ。

しかしである。「発病」から6年が経っても、投薬が繰り返された結果は、体重が31キロまで減少したことだけ。「なんだか、おかしい」と彼女は思うようになった。同じような経験を持つ人との交流が始まった。「うつ病」+「薬害」と闘う人たちの書物も読んだ。「このままでは私は死んでしまう。何が私に起こっているのか、深く理解しないと脱出決行は容易でない。でも、ここから逃れよう」。そんな気持ちを相談すると、最先端医療機関に「柔らかく」脅迫される。退院するのも大変だったというが、その言動の具体的なことは話してくれない。

ボクはさらに、ルボックスが爽鬱反対に使われるとひどいことになると、彼女が説明したことに注目した。「私は、子供のころから男勝りで、いつも爽状態の性格。たまたま猛勉強で疲れが出た時に、うつ病と診断されてしまった。爽の人が鬱の薬ルボックスを飲むと精神が錯乱し、あらゆる人が信じられない。彼女の話は、九十歳・ボクの母親とピッタリ重なったのだ。二つの大病にあえいでいたボクの五十歳代後半はまた、母親をケアする時期でもあった。米寿をメチャ元気に親父と一緒に迎えた母が九十歳になった時に、エライ目にあったのである。診断されたのは十九歳の彼女と同じ病名。「うつ病」だった。そして飲まされた「お薬」がルボックス。カフェで理恵さんが丁寧に語ってくれた話の中に、「ルボックス」が彼女の口から飛び出してきた。先日、実家で母が飲まされていた9種の薬の一つがルボックスという抗うつ剤だったのだから、この年齢と時空を異にした二人の事実の重なりに驚く。用できなくなるらしい。ボクの場合も同じだった。母親だけが信用できる人。怖いものが幻影として現れる」という。エッ、それってボクの母親とまったく同じではないか。ボクは、偶然を超えて、二つの出来事にある必然性を捕まえてしまった。

 

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