杉・ログ・山荘

建築計画
地元杉材による「ログハウス」で、「むらのコモン」空間の役割を果たしている。

山荘-となりむらー別荘ーログハウス

地域のソフトボール仲間が、時折、助っ人として参加していたボクも一員となって、10人で山荘をつくる。この〝ゆっくり山荘〟で、大阪府下市街地に暮らす30~40才代家族・50人が、週末、非日常の「ヒトと自然に戯れるお付き合い」が続き、「となりむら」と呼ばれるコミュニティが生れる。

続いて、並行して7棟の家と別荘が直近に加わり、近くに畑を以て田舎暮らしを実践する二階建ても二棟含まれて地域は膨らむが、5/7は平屋だ。写真は、むらのコミュニティセンタ-のログハウスだ。当時は、世界から木材が大量に入ってくる時代に変わってきていた。カナダからの大丸太で多くのログハウスを多くの人が造っている。

左の写真は、地元産の普通の杉丸太を楕円形断面丸太に加工したログハウスである。築30年を超えて、構造仕上げ材としての輝きはより増してきているようである。

日常からそう遠く離れるのではなく、日常から離れているコミュニティ・グループ生活の交換が非日常だが愉しく繰り返されてきた。大部分の所有者で仲間の長だった陶芸家の秋山省山氏が亡くなって、そんな交換が途絶えてくる。それでも、氏のご子息・陶芸家が登り窯を働かせ、センターをゲストハウスに活用、むらは持続している。自分(たち)でつくる暮らしは面白く楽しいと思い始めたとなりむらであった。。

自分度」の回復=OLA革命

ボクは今日社会の問題解決のコアを「自分度」の回復=OLA革命ダ、と思っている。

ボクは、75歳を超えた老建築家だ。幼少期を山間部で育ち、青年期に大阪に出てこの仕事に就きここまで続けてきた。

土木工学科から、いきなり建築界に入ったおかげで、建築界が覆われている権力に仕える「シンボリック・アーキテクチュア」の知識を有していなかったのが幸いだったようだ。しかも、初期に日照問題など建築公害が社会現象となり、社会性を考えることを迫られ、たった30歳代前半時期に、そのまま設計組織をけん引する位置に立ったからでしょうか。独自の建築・社会観と実践手法が身に付かざるを得なかったし、人生を総観できる老人に到達できたように思う。ボクは売買を前提にした建築物の設計から距離を置き、使う人住む人から依頼を受けクライアントと一緒に、小さな商業建築・様々な住宅・福祉建築中心に設計活動にかかわってきた。

到達した「フォークアーキテクチュア」への実践経過とその結果を鳥瞰し始めていたコロナ禍の昨年、若手経済思想家・斎藤幸平氏の大ブレーク書「人新世の資本論」が、大阪上空でボクに瞬時スパークしてきたのだ。ボクの建築各々結果と重ね合わせてみよう。

 

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